新沖縄子どもを守る会設立アピール文

17 1月

子どもを守る協働の拠点としての旧沖縄少年会館存続に向けた訴え

私たちは本日、沖縄の子どもたちが安心して、成長し、次代の沖縄を担っていけるよう、それぞれの立場で活動していくことを決意して「新沖縄子どもを守る会」を設立しました。戦中、戦後の厳しい現実の中で、子どもたちの人権と暮らしを守るため「沖縄子どもを守る会」が結成されたのは 1953 年 12 月のことです。沖縄では由美子ちゃん事件(1955 年)、宮森小学校ジェット機墜落事件(1959 年)など、基地をめぐる悲惨な事件が続きました。
こうした状況の中で具体的に子どもたちを支援し、夢を与える拠点として「沖縄少年会館」が 1966 年に建設されました。県民はもとより、本土からの支援も多く 48 万ドル(1 億7000 万円)という資金が集まり、プラネタリウム、鉄道模型、離島の子どもたちの宿泊施設も用意され、相談や研修会、交流会にも活用されました。しかし、1979 年 3 月、財政難もあり、「沖縄子どもを守る会」は解散し、「少年会館」は、那覇市に譲渡されました。その後、公民館として活用されてきましたが、昨年 9 月、老朽化のため解体されることが決まってしまいました。
私たちは、昨年 10 月「沖縄少年会館の建設趣意書」を発見し、当時の屋良朝苗氏の思いを受け止め、また国際的な近代建築学術団体「DOCOMOMO Japan」から、修復が十分に可能であること、また貴重な文化・歴史遺産としても残すべきであるという提言をいただき、子どもに関わる多くの方々と話し合いを続けてきました。
自然環境に恵まれ、文化、芸能にも優れた沖縄の出生率は全国一、元気な子どもたちが生まれています。しかし戦後 67 年、復帰から 40 年たった今も、沖縄の基地は減少することなく、本土との経済格差も広がっています。県民所得は全国最下位、失業率も全国一で、大学進学率も平均をはるかに下回っています。子どもや家庭の状況は、極めて深刻です。
私たちはこうした格差に関わりあう中で活動を続けていますが、そうした活動を受け止め、ネットワークをつくり、市民、行政、各団体が協力して力を合わせ、また子どもたちの居場所としての拠点をつくることが難しい状況にあります。私たちは、復帰 40 周年目のいまこそ「沖縄子どもを守る会」の理念を受け継ぎ、そのシンボル的存在であった「沖縄少年会館」を修復存続させ、沖縄の子どもを守る活動を全県一体となってつくりあげたいと思っています。
「コンクリートから人へ」といわれた現政権の理念は、沖縄の人づくりにこそ向けられるべきだと私たちは考えています。
那覇市議会の皆様、那覇市長様、那覇市職員の皆様、どうかこうした現状と思いを受け止め、昨年 9 月の解体決議を見直し、再検討をしていただくよう、私たちは強く訴えます。厳しい暮らしの中で、必死に生き抜いている子どもたち、子育てをしている方々と共に、私たちは、今後より多くの方々と手を取り「新沖縄子どもを守る会」の活動に全力を掛け取り組んでまいります。どうか、末永くお付き合いをお願いいたします。

2012 年 1 月 14 日 新沖縄子どもを守る会設立総会

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